通常通りに教務をしていると、窓口に誰も居ないことに気づき、俺は他の人に窓口業務を頼んだ。
スムーズとは言えないが、仕事は進んでいる。
融資の件で訪れた人達の借入申込書を何度も確認して目を通していく。
何て言うか、みんな返済をしっかりしていない人ばかりで審査に通すのも怪しい。
信用情報を確認すると、返済を延滞している人や返済できていない人がちらほら見えた。
これでは審査に通すわけにはいかない。
その中には、初めて融資を希望している女性のものもあった。
あれ、これって、今この場で待っているんじゃないか?
番号札を確認するとやはりまだ呼ばれていない。
審査は終わっていて、融資してもらえることになっている。
「お待たせ致しました、姫宮りな様」
「やっと呼ばれたぁ!
はいはーい、ここに居まーす!」
元気な声が聞こえて、やってきたのは・・・ロリータ服を着てテディベアを持っている女性だった。
思わず外見から疑ってしまい、年齢を確認すると20歳と書かれていた。
こんなに若いのに、金が必要なのか?
一体何に使うのか聞いてみたいが、聞いてはいけないと思い俺は黙った。
「おいくら程をご希望でしょうか?」
「えっとね、40万円ほど借入したいの!
理由までは言わなくてもいいんだよね?」
「ええ、理由までは大丈夫です」
すると、姫宮さんは手にしているテディベアに話しかける。
“40万円あれば足りるよね?”とか“テディはいくらにする?”とか。
テディベアって生きてないよな?
普通のクマのぬいぐるみだと思っていいんだよな?
まさか、この子のクマはしゃべる特別なクマなのか?
いやいや、そんなことはないだろう・・・現実的に考えてありえない。
でも、真剣な表情をしながらテディベアと話している様子からして、ふざけている感じはしない。
俺はすぐに現金を用意して、窓口まで持ってきた。
「こちら40万円になりますので、ご確認下さい」
「テディも一緒に数えて・・・いち、に、さん・・。
・・・あっ、テディ笑っていないで、もうわかんなくなっちゃったじゃない!」
この子、本当に大丈夫なんだろうか・・・不安だ。
現金をテディベアにも見せているし、何よりびっくりしたのはテディベアの手を使ってお札を数えている事だった。
いや、絶対自分一人で確認した方が早いと思う。
姫宮さんを見た周りの人達も怪訝そうに、彼女を見ている。
当の本人はそんなこと全く気に留めていないようだけれど。
「ねぇ、お兄さんはテディベアって好き?」
「いや、私はそういったぬいぐるみはちょっと・・・」
「ぬいぐるみって私達と一緒で生きているのに、そんな言い方ないじゃない!
あ、そんな事言うからテディも怒ってる!」
ぬいぐるみは昔から全く興味がないから、そう言われても困ってしまう。
生きているって言われても、俺にはちょっとピンと来ない。
ぬいぐるみが好きだと言う女の子は生きているんだって信じたりしているみたいだが、実際それを理解するのは難しい。
テディが怒っていると言われても、クマの表情は全く変わっていない。
俺がおかしいわけじゃない、よな?
「黒羽根さんって彼女いないでしょ?」
「なぜですか?」
「うーん、なんていうか冷たいから?
ぬいぐるみはしょせんぬいぐるみだって思ってるし。
人間味が感じられないんだよねぇ」
姫宮さんは頬を膨らませながら言う。
そんなことを言われても、ぬいぐるみはぬいぐるみだとしか思えない。
そうなんだ!なんてすぐに納得することは、なかなか出来ない事だと思う。
姫宮さんは俺を見てまだむくれている。
まるで子供みたいで、何だか変な感じがする。
人間味が無いと言われたのは、これが初めてな訳じゃない。
もう小学生のころからずっと周囲に言われていたんだ。
“子供らしくない”とか“人間味が無く冷たい”とか言われてきて、俺はそのまま大人になってしまったから、どうすることも出来ない。
「そうだ、黒羽根さんも今度このお店に行ってごらんよ。
でさ、感想聞かせてくれない?
私、またこの銀行に通帳作りに来なきゃいけないからさ、ね!」
「これは・・・テディベアミュージアムのチケット?
いや、私は業務がありますので難しいですね」
「大丈夫、日曜日までやってるから!
ちゃんと行ってきてよね!」
そう言って、姫宮さんは帰ってしまった。
ちょっと待ってくれ、俺本当に行かないぞ・・・こんなところ。
こんなの女子が行く所じゃないか。
しかも、男の俺一人で行くってどういうことだよ・・・!
確か、この間も融資の手続きをしたつもりの男性に誘われたような。
銀行員なんて、客相手にただ愛想よくして仕事をすればいいものだと思っていたが、結構人と関わるのも大変だな・・・。
普通の人ならいいが、ああいった変わった客の相手は正直厄介だ。
にしても、このチケットどうするべきだろうか・・・。
何があっても俺はテディベアミュージアムには行かないぞ。
興味がないのに行くだけ無駄だし、時間だってその分他に回せるじゃないか。
そして日曜日。
外は相変わらず晴れていて綺麗な青空が広がっていた。
絶好の外出日和になっている。
それなのに俺は・・・俺は来てしまった、テディベアミュージアムに。
絶対行かないと言っていたのに、チケットがもったいないような気がして来てしまった。
これは完全に母親譲りだ・・・母親もよく勿体ないと言ってこういうことをするから。
仕方なく入り口でチケットを渡して、中へと入っていくとたくさんのクマが置かれていた。
皆それぞれ違う洋服を着てポーズをとっている。
「どこがどう違うんだか・・・」
「あら、そんなことないんですよ」
急に声がして、俺は後ろを振り返ると案内係の女性の姿があった。
あ・・・このミュージアムのスタッフか、びっくりした。
そんなことないって言ったが、彼女にも違って見えているのだろうか?
俺が黙ってクマを見比べていると、女性が笑った。
ん、何かおかしかったのか?
「テディベアって、一人一人表情が違いますし毛並みも違うんですよ。
よく見てみると、手足の長さも若干ですが違ってきますし、バラバラなんですよ」
一人一人表情が違う?
俺はそう言われて、一体ずつクマを確認してみるとわずかに違いがあることに気が付いた。
本当だ・・・表情が少し違って見える。
今までずっと同じ顔だと思っていたのに、少し違っているから驚いた。
全く同じクマでも表情が違う事にも気が付いて、俺が間違っていたのだと気付く。
これは、ぬいぐるみなどが好きな人にとっては、常識的なことらしく自分でよく比較してからお持ち帰り、つまり購入するらしい。
「テディベアは可愛い子が多いですが、性格はその持ち主によって変わるものなんです。
本当に愛している方は、旅行など長時間留守にする際にも一緒に連れて行きます。
ぬいぐるみではなくて、本当の家族だと思って接している人が多いんですよ」
「そう、なんですか?」
「興味がない方からしたらバカバカしいかもしれませんが。
本人にとっては、とても大切でかけがえのない大きな存在です」
なるほど・・・本当に愛している人は、家族のように扱っているのか。
それで姫宮さんもあんなふうに扱っていたのか。
だが、それを外でするのは避けるようにしないと、おかしい人だと思われてしまう。
大切にしている事はなんとなくだが理解できた。
だけど、俺にはまだまだ十分に理解できそうにないな・・・。
それからぐるっと一周テディベアミュージアムの中を回って、色々チェックしてみた。
好きな人が見たら、嬉しいんだろうな。
あれから2日後。
再び俺は銀行の業務に励んでいたら、大きな声が聞こえてきた。
今日も早速何か起きたとでもいうのか?
声の聞こえる方を向くと、そこには泣きじゃくっている姫宮さんの姿があった。
ん・・・何か足りなくないか?
いつも身につけている物が無いような・・・そうか!
テディベアがいないのか!
それで心配して泣きじゃくっているのかもしれない。
「姫宮様、テディベアをお探しでしょうか?」
「そうなの・・・ちょっと目を離したすきにいなくなっちゃって・・・。
・・・どうしよう、見つからなかったら、わたし・・っ」
泣き始めてしまった彼女を見て、どうにかしなければと思った。
急いでお客さんの邪魔にならぬよう、テディベアを探していく。
くまなく探しているつもりだが、一向に見つかる様子がない。
まずいな・・・大切にしているテディベアなんだもんな・・・見つけてやらないと!
まさかとは思うが、外に落ちているなんてことは・・・。
そう思いながら入り口付近へ行くと、目の前の歩道に一体のテディベアが転がっていた。
「・・・あった!」
俺はすぐに駆け寄り、テディベアをそっと手にした。
何もおかしいところが無いか確認してみると、腕が取れかかっていた。
やばいな・・・このままじゃとれてしまう。
すぐ銀行へ戻り、姫宮さんに見つかったことを告げて裁縫道具を用意した。
同期の女性銀行員が持ち歩いてくれていて、本当に助かった。
慣れない手つきで俺は丁寧に腕を綺麗に縫い合わせていく。
「テディ、今手術してるから我慢してね?
痛いかもしれないけど、すぐによくなるからね」
姫宮さんが、反対側のテディベアの手を握っている。
その手はかすかに震えていて、余程心配だったことが見て分かった。
何とか手当てを終えて、テディベアを姫宮さんのもとへ返してあげた。
嬉しそうにクマをぎゅうっと抱きしめ笑顔を見せる彼女。
よかった、見つかって。
「黒羽根さん、本当にありがとう!!
テディも見つけてもらってケガまで直してくれて喜んでるよ」
「それは良かった。
恐らく、子供がいじって外へ投げてしまったのでしょうね。
今後はその手を離さないようにしてあげて下さい」
「うんっ、次からは絶対に離さないようにする!
あとね、この間の40万円でこの子の友達を買ったの。
ちゃんと返済するから、心配しないで」
「ええ、それはいいですね。
お帰りの際はお気を付け下さいませ」
彼女は笑顔で俺に手を振りながら、帰っていく。
全く、泣いたり怒ったり笑ったり本当に忙しい人だったな。
彼女がテディベアの手を使って、俺に向けて手を振ってくれている。
その瞬間、俺は言葉を失った。
彼女が手にしているテディベアが俺を見て、今少し笑ったような気がしたから。