何だか最近、食欲が出てくるようになってきた。
秋だからか食べる量が少し増えてきたような気もする・・・食べ過ぎは良くないんだけど。
今日は帰ったら何を食べようかな、秋だからサンマでも焼いて食べようか。
そんなことを考えながら、業務を続けていく。
今日は落ち着いているから、余裕を持って仕事を進めることが出来る。
番号をいつものように呼んでいき、すると気になる人物が窓口へやってきた。
「あの、10万円だけ融資してほしいんですけど・・・いいですか?」
「少々お待ちくださいませ」
融資をしてほしいと頼みに来る人は多いが、10万円という金額を希望する人も珍しくない。
少額から融資をしてもらえることを知っている人は、大体10万円の融資を頼む。
後日きちんと返済できるように、そうしているのかもしれない。
借入申込書を受け取り、信用情報を確認していく。
彼女の名前は“後藤ゆか”さんというらしい。
借入をするのは、今回が初めてではなくて以前にも何回か借入している。
その返済は時々延滞しているようだが、しっかり返済できている。
融資課長の元へ行き確認を取ると、10万円なら可能だという事で俺は早速準備をした。
「お待たせいたしました。
こちらが10万円になりますので、ご確認下さいませ」
「ねぇ、あなたは・・・あ、黒羽根さんって言うんだ?
黒羽根さん、お菓子好き?」
「まぁ、嫌いではありません」
「お菓子はさ、ホントにすんごいんだよ!
あんな美味しいモノ、なかなかないっていうかさ!」
そう言いながら、現金を確認していく後藤さん。
よほどお菓子が好きらしいが、その割には痩せているな。
もしかして、太らない体質なのか?
そうだったら、すごくうらやましいな・・・俺も最近腹回りが気になってきた。
後藤さんの抱えているバッグは大きく膨らんでいて、その割には軽そうに持っている。
一体何をしまい込んでいるんだ?
「ありがとうございます、黒羽根さん。
これで世界のお菓子展覧会に行けますよー!」
「世界のお菓子展覧会?」
「知らないんですかっ?!
世界の珍しいお菓子が食べられるっていう、最高のイベントなんですよ!
これは超有名なんで、行かなきゃお菓子好きなんて言えませんよ!!」
そうなのか・・・その展覧会へ行く交通費とかにするのか。
それはそれで有意義な使い方だと言える。
すると、後藤さんがバッグをドンと置いて中から色々何かを取り出してきた。
・・・・おいおい、マジか!
出てきたのはたくさんの溢れんばかりのお菓子たち。
スナック菓子からチョコレート菓子や焼き菓子まで、それはもう出てくる出てくる。
「このスナックは明太子味がして、このチョコはメロン味がしてー。
この焼き菓子は高級チョコが入ったチョコチップクッキーなんですよ!
ほら、黒羽根さんもどうぞ!」
「お気持ちは嬉しいですが、ここは銀行ですし業務中ですので・・・」
「堅いコト言わない!!
私、これからお昼ごはーんなんですよ!」
お昼ごはーんって、なんだその変なイントネーションは。
それにこれがお昼ごはんっていう事は、ちゃんとした飯を食わないってことなのか?
今日だけに限った感じではなさそうだし・・・。
そんなことを考えている間にも、後藤さんがスナックを一袋平らげている。
どうでもいいけど、食うの早いな!
「後藤様は、食事しないのですか?」
「え、今してるじゃない!
私、お菓子しか食べない主義だし、中学生からずっとこの生活なの」
中学生からずっとお菓子しか食べてこなかったのか?!
それはそれは、さぞかし栄養が偏っている事だろう・・・。
何だか体の方が可愛そうに感じるし、病気とか大丈夫なんだろうか?
今は若いからいいかもしれないが、歳を重ねていくにつれてガタがくるんじゃ。
野菜とか食べないと、体調を崩したりすると思うのだが・・・元気そうだ。
後藤さんが、チョコレート菓子をもぐもぐ食べている。
まるでデザートのように食べている。
親は何も言わな・・・言えないか、言っても聞いてくれそうにないから。
「そうだ、展覧会の感想聞かせてあげますね!
返済なら給料日過ぎたら出来るんで」
「は、はぁ・・・」
「これ全部あげるから晩御飯にでもして下さい!
またね、黒羽根さん」
そう言って、嵐の如く去って行ってしまった。
何だったんだ・・・今のは・・・。
騒ぐだけ騒いで、あっという間に姿を消してしまった。
しかも、こんなにも大量のお菓子を置いて行って。
いくらなんでも、俺一人じゃ食べきれそうにないぞ・・・同期たちに分けるか。
世界のお菓子って、どんなものが置かれているのかちょっと気になるな。
変わったお菓子とかあるんだろうか・・・。
それから日にちが経って、俺は融資の対応に追われていた。
融資をしてほしいと言う人が増えてきて、正直猫の手も借りたいくらいだ。
その時、一本の電話がかかってきた。
俺が近くにいたため、その電話に出てみると相手は聞き覚えのある声だった。
そう、後藤さんの声で何だかしょんぼりしている。
何かあったのか?
『あ、その声黒羽根さんですか?
実は返済の件なんですけど、少しだけ待っていただくことは出来ますか?
給料日が遅れてしまうらしくて・・・ごめんなさい』
「ええ、分かりました。
では、その旨をうえの者に伝えておきます」
『ごめんなさい・・・失礼します』
電話を切り、余程後藤さんが落ち込んでいたことを知る。
この間とはまるで別人だったような気がする・・・。
もしかして、何かあったのかもしれない。
だが、俺から何があったんですか、なんて失礼になってしまうし詮索するのは良くない。
よく分からないけど、早く元気になってくれればいいのだが。
返済はしてもらえそうだから、それはあまり心配しなくてもいいかもしれない。
その日は特に問題もなく、無事一日を送ることが出来た。
何日か過ぎた頃、後藤さんが返済にやってきた。
その顔は何だか晴れやかではなくて、ショックを受けているような様子だった。
あの時は聞いてもいない展覧会の感想を聞かせてくれると言っていたのに。
「黒羽根さん、これ返済します。
ありがとうございました」
「何かあったんですか?」
俺がそう尋ねると、彼女は涙ぐませながら俺を見た。
な、なんだ、聞かない方が良かったか?
ハンカチを取り出して涙をぬぐっていく後藤さん。
タダならぬ気配に、俺も思わず緊張してしまう。
堅く口を閉ざしていた後藤さんが、やっと重たい口を開いてくれた。
「実は・・・幻と言われているチョコが食べられなかったんです・・。
・・・せっかく行ったのに、行ったのにぃ・・・っ」
え、そんなことでそこまで落ち込むのか?!
幻のチョコレートって、確かに幻と言われているだけあってなかなか手に入らないものだと思うが・・・だからって泣くことないじゃないか・・。
俺はてっきり、もっとひどいことを抱えている物だと思っていた。
なんだ・・・そうじゃなくて良かった。
俺にとっては大したことじゃないが、後藤さんにとっては大ごとなのかもしれない。
大好きで楽しみにしていたものを買えないのと同じで、彼女にとってはそれだけショックなことなのかもな・・・。
「また展覧会を開くかもしれないじゃないですか。
そんなに落ち込まず、色々調べて情報を掴むのもいいかもしれませんよ」
「もう、私・・・生きていけない・・あぁ」
だめだ、聞く耳を全く持ってくれない。
生きていけないって、そんなにまで落ち込むことないんじゃないか?
残念だったことや悔しい気持ちは分からなくもないが、そんなに落ち込んでしまったら周囲の人達が心配してしまう。
俺はデスクの引き出しから、一つだけチョコボールを出した。
「何の足しにもなりませんが、どうぞ。
早く立ち直って下さいね」
本当何の足しにもなっていない。
幻のチョコが食べられなくて落ち込んでいる人物に、安物のチョコを渡してしまうなんて。
比べ物にならないことはわかっているが、それでもなぜだか渡してあげたいと思った。
後藤さんは泣きじゃくりながら、チョコボールを食べ始めた。
あ、泣いていてもお菓子なら食べるのか。
もぐもぐ食べている姿が何だか、子供みたいで笑ってしまった。
その時、後藤さんがあっ!!と大きな声を出した。
びっくりして俺も周囲のお客も、後藤さんを見た。
「く、黒羽根さん、ありがとうございます!
これ、金のエンゼルですよっ!!」
「マジか!?
・・・じゃなくて、本当ですか!」
彼女に見せてもらい、それは本当に金のエンゼルだった。
知らなかった・・・ずっとデスクにしまっていたから気が付かなかった。
まさか、あれが金のエンゼルだったなんて・・・俺はずっとしまっていたからもったいなかったな。
だが、そのおかげで後藤さんの機嫌が直ったから、よしとしようじゃないか。
嬉しそうにしているところを見て、本当にあげて良かったと思う。
「ご機嫌、直りましたでしょうか?」
「うん、もう大丈夫!
黒羽根さんのおかげ!」
「お役に立てたみたいなら、良かったです」
後藤さんは、もぐもぐ食べながら金のエンゼルを眺めている。
おもちゃの缶ってなんであんなにも魅力的なんだろうか。
すると、後藤さんがバッグの中から、再びお菓子を取り始めた。
あぁ・・・またそんなに広げて・・・まったく。
だけど怒る気にはなれず、俺はやれやれと言った感じで見守る。
「黒羽根さんにお土産です!
展覧会、すごかったんですよー!」
そう言って、お菓子を食べながら楽しそうに話す後藤さん。
その様子からして、本当に満喫してきたことが分かった。
楽しめたみたいで、何だか俺の方まで安心してしまった。
話して満足したのか、彼女はまた融資してほしい時は俺に頼むと言って帰って行った。
俺は知らなかった。
その数年後に彼女が有名パティシエとして、世界に名をはせることを。
実力も人気もあるパティシエになり、あの世界のお菓子展覧会に新作お菓子を出品しさらにその存在を確立して、多大なる成功者になったことも。
そしてまた、俺の元にお菓子が届くようになることも、俺はまだ知らない。