毎日同じ業務ばかりで飽きてきてしまいそうにもなるが、何とか自分を奮い立たせている。
平日は朝9時から午後15時までの営業となっているため、そんなに長くは接客していない。
接客が好きな人にとっては、あっという間なのかもしれない。
だが、俺はどちらかといえば苦手だから、長く感じることの方が多い。
今日はもともと窓口業務で俺は、次々にお客をさばいていく。
“156番の番号札をお持ちのお客様は、7番窓口までお越し下さい”
そして、窓口にやってきたのは黒い帽子にサングラス、マスクを身に着けた怪しい奴だった。
何て言うか、まるで銀行強盗みたいで嫌な感じだ。
そう考えていた時だった。
「おい、さっさとあるだけ金を詰めろ!」
「?!」
「俺は銀行強盗だ、命が惜しければさっさと金を用意しろ!
急いで40万円だけ詰めろって!」
マジか・・・マジで銀行強盗だったのか!
しかも40万円だけ詰めろって、そんな強盗聞いたことないぞ・・・。
なんだその中途半端な金額は?
大声ではなくて、俺に聞こえるくらいの小さ目な声で言ってくる。
そう言って、俺に凍ったアジを突き付けてきたが、全く怖くない。
そもそも、本気で強盗するつもりがあるのか謎だ。
ばっちり監視カメラにも映っているし、警報ボタンだって押そうとすれば押せる。
だが、こんなことで警報ボタンを押すのは気が引けてしまう。
「あの、何があったか存じ上げませんが、融資を受けるのはどうでしょう?
犯罪を起こしてしまったら、もう外には出られず刑務所で過ごすことになりますよ」
「うるせぇ、さっさと用意しろよ!
そうやって時間稼ぎすんじゃねーよ!」
「痛ッ!」
彼は凍ったアジで俺の腕を叩く。
ヤバい、このアジかなりの凶器だぞ・・・危ないな!
もうダメだ、聞く耳を持ってくれない。
一体どうして強盗はこう一方的なんだろうか・・・現金なんかここにはないのに。
もっと奥の部屋まで行かなければ現金なんかない。
もし、俺が銀行強盗だったら昼間ではなく夜ゆっくり時間をかけて金を盗む。
何か作戦を立てて、一人でこんなことをしているのだろうか?
「現金はあの奥の部屋にしかないんです。
私、すぐにでもボタンを押せるんですが、逃げますか?
それともここに残りますか?」
「ちょっと待て・・・ボタンを押すのは待ってくれ!
じゃあ、融資だったらいくらまでしてくれるんだ?」
「年収にもよりますが、審査に通ればご融資が可能になります。
どうです、審査を受けてみては?」
「わかった・・・、ただし審査に落ちた時はわかってんだろうな?
その時はこのアジを使って、こんな銀行めちゃくちゃにしてやる!」
何だかよく分からないが、今の条件を呑んでくれたみたいだ。
借入申込書を記入させて、俺はそのまま彼の姿を見つめた。
審査に通れるのかどうかは分からないが、強盗するよりずっとスムーズで効率がいい。
それにしても、あの冷凍したアジ攻撃は危ない。
魚って凍らせるとあんなに恐ろしい凶器になるんだな・・・。
書類を確認すると、“金久保明人”と書かれていた。
普通に苗字を書いてしまうなんて・・・馬鹿なのか天然なのか分からない。
これで本名や生年月日などの情報がわかった。
職業を確認してみると、金久保さんは会社員だったから驚いた。
よほどストレスでも溜まっているんじゃないか・・・?
審査で調べてみると、融資をしてもらうのはこれが初めてではないらしい。
それに、借入してはしっかり完済しているし延滞も無い。
どうして、強盗なんかしたんだろうか?
「お待たせいたしました。
融資することが可能ですので、ご利用いただけます」
「マジか・・・じゃあ、40万円で」
おいっ、いいのか、そんなあっさり諦めて!
40万円融資してもらえるとわかって強盗をやめるなんておかしいだろ!と思わずツッコミたくなった。
念のため、何度か確認をするがそれでいいと言って変更する気配がない。
なぜ40万円にこだわっているのかさえ、俺にはよくわからない。
急いで現金を用意して、持っていく。
「こちらが40万円になりますので、ご確認下さいませ」
「よし、これで家のローンと車のローンが支払えるぞ!
給料日前の支払日なんて、困っちゃうよなー・・・」
家と車のローンって・・・真面目かッ!
普通はその金で遊んだりもっと、好き勝手に使うものじゃないのか?
感覚がずれているというか、必死と言うか・・・。
俺が黙りながら見ていると、金久保さんが封筒に現金を入れてしまいこんだ。
あの金がローンの支払いに回されるのか・・・そのまま負のサイクルにならなければいいが・・・。
「あんた、黒羽根っていうのか。
ありがとな、融資してくれて」
「いえ・・・」
「あ、そのアジやるから食っていいぞ」
そう言って、金久保さんは行ってしまった。
何だったんだ・・・今までのやり取りは・・・。
銀行強盗されかけて防ぐことが出来たのが、よかった。
強盗に入られたらと知られれば、この銀行の信頼度やイメージが下がってしまう。
だから思いとどまってくれて、本当に助かった。
それにしても、このアジはどうすればいいんだ・・・・。
俺の腕を殴ったこの凍ったアジを俺が食べるのか?
嫌だな・・・近くに猫とかいないかな。
その3日後の土曜日。
俺は気分転換に買い物に出て、街を歩いていた。
天気が良くて過ごしやすい一日だから、出歩いている人も多い。
その時、見覚えのあるような人物を見かけてびっくりした。
あれって、金久保さんじゃないか?
よく見ると、家族で楽しそうに街中を歩いていて、絵に描いた様に幸せそうな雰囲気だった。
娘さんを真ん中にして、金久保さんや奥さんが両端から手をつないでいる。
本当に幸福そのものっていう感じがして、心が温かくなる。
「おとうさん、私ね二重跳び出来るようになったんだよ!
クラスでも、私が一番たくさん跳べるの!」
「おー、それはすごいな!
お父さんも鼻が高いよ」
「それなら、今晩のご飯はステーキにしましょうか?
「さんせーい!」
楽しそうな雰囲気が俺にまで伝わってくる。
あんなに幸せそうな人が銀行強盗を企てて行動したなんて、信じがたいし相手が俺で良かったような気もするんだよな。
俺以外だったら、恐らくすぐにあの警報ボタンを押して警察を呼んでいただろうから。
本当に危ないところだった。
もしかして、今まで借入をしては後日しっかり返済しているのは、ローンを支払うため?
本当はすごく真面目で人を襲う勇気すらないんじゃないかと思った。
だから、凶器に凍ったアジを選んだんじゃないだろうか?
もう会う事は無いと思うが、幸せそうな姿が見られて良かったな。
あれから仕事がたまってしまい、俺は忙しく動いていた。
新人がやり方についてこられずに、辞めてしまっているから人手が足りない。
だから、書類整理だけではなくて窓口業務やその他もろもろの仕事にも追われていた。
番号札を次々にさばいていると、金久保さんがやってきた。
どうして、この銀行に・・・融資ならちゃんとしたはずだ。
「黒羽根さん、お久しぶり。
今日は返済しに来たんだ」
「返済でしたか。
では、ただいま確認してまいります」
そう言って、一度席を離れる。
ちゃんと預かった現金を数えて、ぴったりだったことを確認した。
もう金銭的には大丈夫なんだろうか。
きちんと確認がとれたため、そのことを金久保さんに伝える。
すると、小さい女の子が走ってきた。
「可愛いお子さんですね」
「そうだろう、自慢の娘なんだ!」
金久保さんは笑いながら、本当に嬉しそうに言う。
そこ娘さんを見ると、この間の娘さんだけど手には黒マジックが握られていた。
俺と金久保さんが話している間に、娘さんが黒マジックで金久保さんの腕に落書きをしている。
気が付いたころには、金久保さんの腕はすごいことになっていた。
腕が毛むくじゃらみたいに書かれている事に気が付いて、金久保さんがこらっと少し怒ると、娘さんは楽しそうに笑った。
「あのねあのね、この間ねユウキくんのおじいちゃんに髪の毛生やしてあげたの!
フッサフサなの!」
「えぇっ!?」
思わず俺は声をあげてしまった。
ちょっと待ってくれ・・・ユウキくんって確か吉村さんのお孫さんだったはず。
つまり、ユウキくんとこの娘さんは同級生という事になるのか。
髪の毛を生やしてあげたっていう事は、その手に持っているマジックでまた書いたという事だよな・・・?
吉村さんとユウキくんは、もうおかしいとわかってやめたのかとばかり思っていた。
でも、まだ続いているみたいだ・・・それにしてもフッサフサって!
・・・・ちょっと見てみたいと言ったら失礼だろうか。
いや、失礼だよな・・・。
「この間はすまなかった・・・あんな真似して。
銀行強盗なんて、馬鹿げた話だよな・・・何してたんだろ、俺は」
「気にすることはありませんよ。
またお困りでしたら、いつでも融資致しますのでいらして下さい」
「ああ、本当にありがとう。
あの事なんだが・・・」
「あれは未遂なので黙っておきますから、安心なさって下さい。
幸せな家庭を壊さないように、これからは気を付けるようにしていただければ」
俺がそういうと、恥ずかしそうに笑いながら娘さんを連れて帰って行った。
家族の環境を守るために、あんな真似までしてしまった人。
真面目過ぎるから、時に変なことを考えて行動してしまうのかもしれない。
40万円という金額を融資してもらえるはずがないと思い、銀行を襲おうとした。
それもあんな小声で周囲に迷惑をかけないようにして、凍ったアジで俺の腕を叩いて。
人間って、いざとなったら何をするのか全く見当がつかないから恐ろしい。
「凍ったアジで叩かれる日が来るなんて、思わなかったな・・・」
人生の中で誰かに襲われたり、ケガをしたり事故に遭ってしまったり。
色々なことが起きるのは、想像して考えることが出来る。
でも、普段自分が食べている物で脅される日が来るなんて、想像できない。
あれはあれで、また新鮮だったような気もするが・・・。
そう言えば、あれからあのアジを焼いて食べたら美味かった。