今日も穏やかな一日で、俺は少し余裕を持って仕事をこなしていた。
外は晴れていて今日は一日暖かくなると、天気予報士も言っていた。
午前中の業務を終えて、午後の業務へと移り変わっていく。
いつも思うが、午前中の業務は本当に長く感じてしまう。
書類を確認していると、後方からざわざわ声が聞こえてきて俺は振り返った。
その瞬間、俺は固まってしまった。
何故なら銀行へやってきたのは、クマの着ぐるみを着た人物だったから。
最初はビラ配りかと思ったが、その手には何も持っていない。
融資の番号札を取り、早速俺の元へとやってきた。
「あの、20万円ほど融資してもらいたいのですが」
「は、はい、20万円でございますね。
こちらの書類にご記入願えますか?」
そう言って書類を渡すと、固まったまま動かない。
あ・・・そうか、着ぐるみを着ているから書けないのか!
俺がじっと見ていると、クマがバサッと上半身だけを脱いで記入し始めた。
いいのか・・・その姿を見せてもいいのか?!
こういったマスコットって顔見せNGなんじゃないのか?
しかし、今銀行に子供の姿はどこにもない。
よかった・・・子供たちの夢を壊すのは良くないことだからな・・・。
書類を確認すると、“小鳥遊なぎ”さんと書かれていた。
クマのマスコットにしては達筆な字で書かれていて、びっくりした、
しかも、声も可愛い増すことには似合わない、カッコイイ低い声。
ギャップが多すぎて、何からツッコめばいいのかわからない。
「少々お待ちくださいませ」
俺は信用情報を確認して、融資課長の元へ行ったりして動き回る。
さっきからずっと気になっているんだが、上半身だけ脱いだのはいいとしよう。
だが、顔はクマをかぶったままで何だか怖い・・・。
可愛らしいはずのクマがこんなに怖く感じるのは、初めてだぞ。
それも遠くからずっと俺を見ているから、なおのこと怖い・・・怖すぎだろ!
俺は20万円を準備して、彼の元へと戻った。
「こちらが20万円になりますので、ご確認をお願い致します」
「ありがとうございます。
実は今月結婚式が5件も入っていまして、やりくりが難しくて」
「それはおめでたい事ですね。
ですが、正直そこまで重なってしまうと大変ですよね」
結婚式が今月だけでも5件ってすごいな。
そんなに友達や親戚などの結婚式があるなんて・・・珍しい。
今は冬だからあまり重なる事は無いと思っていたが。
6月ならジューンブライドで重なることがあると聞いていたけれど。
だから20万円の融資を受けに来たのか。
そう言えば、さっき信用情報を確認したところ、先月も融資してもらっていたっけ。
それも結婚式とか何かイベントで使ったのだろうか?
うーん・・・気になるな。
そう考えていると、クマの小鳥遊さんがこちらをじっと見ていた。
「実は、代理出席するんですよ」
ん・・・代理出席って結婚式のか?
結婚式に友人を呼んだりするが、その代理出席って認められるのか?
初めて聞いたが、そんな仕事?もあるのか・・・知らなかった。
まさか、このクマの格好して代理出席するつもりじゃ。
俺がそんなことを考えていると、クマの小鳥遊さんが再び俺をじっと見た。
だからその顔怖いって・・・!
「今、この格好で代理出席しているんじゃないかって思いませんでした?」
「いえ、思いませんでしたよ」
クマにじっと見つめられて、俺は思わず嘘をついてしまった。
いや、言えるわけがない・・・怖くて。
このクマの頭外してくれないかな、何だか本当に怖くなってきた。
威圧感があると言うか、呑み込まれそうというか・・・。
俺はごまかそうと笑ったが、絶対引きつってる。
小鳥遊さんが俺の顔をじっと見つめたまま黙っているから、余計に恐怖感がある。
「あ、あの、そのクマの頭は外さないんですか?」
「・・・見たいですか?」
「・・・は、はい」
俺がごくりと唾を呑み込みながら言うと、小鳥遊さんがクマの頭に手をかけた。
いよいよ気になる顔が見られるのか・・・何だかドキドキしてしまう。
低くて落ち着きのある声に、この体つき・・・さてはイケメンかっ?!
身長だって俺よりも高いし、イケメンのような気がする。
そして、彼がクマの頭の部分をそっと取り外した。
・・・・!
次の瞬間、彼の顔を見て俺は言葉を失った。
クマの頭を外したから顔が出てきたのかと思いきや、またクマのマスクを着用している。
「そんな簡単には見せませんよ」
「そんなにクマが好きなんですか?」
「ええ、好きですよ。
クマは俺の友達ですし、表情だって一人ずつ違いますからね。
このマスクだってちゃんと選んで買ったものなんですよ」
何だよ・・・クマの下にまたクマかよっ!!
せっかく素顔が見られると思っていたのに・・・残念だなー!
あれ・・・そういえば、かつてテディベアが好きだと言う女の子が銀行に来たっけ。
俺にテディベアミュージアムのチケットを渡して見て来い、なんて。
もしかしたら、その姫宮さんという女の子との相性がいいかも。
小鳥遊さんの年齢は確か、姫宮さんと近かったような気がする・・・。
「ありがとうございました」
「待ってくださいよ、黒羽根さん!
そんなに俺の顔が気になりますか?」
「いいえ、もう大丈夫です。
そう言えば、以前この銀行にテディベアが好きだと言う女性が来られましたよ。
お名前は申し上げることは出来ませんが、機会があればお会い出来るかもしれません」
「そうなんですか?
それは是非一度会ってみたいものですね」
同じクマが好きなら、きっと盛り上がることが出来ると思う。
色々な特徴を語り合ったり、共感することも出来るんじゃないかと。
連絡先などを外部に漏らすことは出来ないから、また彼女が来るのを待つしかない。
小鳥遊さんは、クマについて語りつくしてから帰って行った。
クマの話ばかりされて、俺の頭の中はクマの事でいっぱいになった。
だが、少しずつ俺もクマの表情がわかるようになってきたような気がする。
気のせいかもしれないが、一体ずつ表情が全く違って見える。
「なんか黒羽根さん、変わった方の担当者になることが多いですよね。
先程の方、クマの格好してましたが普通はちゃんとした格好で来ますよね?」
「そうだよな・・・普通はあの格好以外で来るものなんだが・・・。
本当変わった方が多くて、対応に困るし悩むよ」
後輩の女子から言われて、俺も納得した。
普通は私服というか、あんな着ぐるみを着てきたりなんかしないはずだ。
何かバイトでもしていたのなら話は別になるかもしれないけれど・・。
それよりも、小鳥遊さんが話していた結婚式の代理出席っていうのが気になる。
気付かれたりしないものなのだろうか。
今日の業務を終えて、俺は片付け始めた。
たまには、自分の散らかったデスクを片付けてから帰ろうかな?
最近、放置していたから散らかってしまっている。
もういい加減片付けないとやばいよな・・・。
それから数週間が経ったころ。
銀行ではちょっとした事件が起きていたのだ。
何か起きてしまったのかというと、強盗が入ってきてしまった。
以前、銀行に強盗が入りかけたがあの時は聞く耳を持ってくれた人だったから大事にならなくて済んだ。
しかし、今回は違って聞く耳を持ってくれない。
困ったものだな・・・どうしたらいいのやら。
相手は銃ではなく刃物を手にしている。
刃物くらいなら、俺でもどうにか出来るかもしれない、そう思って俺が立ち上がろうとした瞬間。
見覚えのある人物が、犯人の方をじっと見つめていた。
怖いクマ・・・じゃなくて小鳥遊さん!
またあのクマの着ぐるみを着て、銀行に来たのか・・・あの人本当にすごいな。
「なんだ、お前ふざけているのか?!
大体なんだよ、そのクマの格好はよ!!」
「ふざけていませんよ、本気です。
それとも何か、ふざけているように見えます?
ん、どうですか?」
そう言って、そのまま犯人に詰め寄る。
あのクマの頭をかぶったまま・・・思わず犯人の二人も怯んでいるのがわかる。
ふざけているようには見えないが、その表情が怖いんだって!
真面目でやっているにしても怖いから、何とも言えない。
犯人は小鳥遊さんに詰め寄られて、怯えたような顔つきを見せる。
「それで、あなた方は一体何をしているんです?
あぁ、それとも一緒に遊びますか。
鬼ごっこでもしますか?」
そう言って、片割れからナイフを奪いさらに詰め寄る小鳥遊さん。
いや、鬼ごっこってシャレにならないって!
ナイフを持ったクマなんて、余計に怖いじゃないか!
さすがの犯人たちも引き下がるかと思いきや、立ち向かってきた。
2対1では小鳥遊さんがやられてしまう!
とっさに俺も入り、片方の犯人へとびかかりナイフを奪う事に成功した。
ナイフを遠くへ投げて、小鳥遊さんの方へと駆け寄る。
ナイフを奪って、それも遠くへと投げ飛ばす。
そして、俺は二人の犯人を投げ飛ばした。
別に何かを習っていたわけではないし、倒そうと思っていたわけでもない。
ただ、小鳥遊さんを守らなければと思ったんだ。
それから、銀行内にいたお客さんを逃がし警察が立ち入ってきた。
事情を聞かれ話そうと思ったら、小鳥遊さんの姿がなくなっていた。
あれ・・・さっきまでいたはずなのに・・・。
まさか、クマの格好のまま事情聴取が出来ないことを知って姿を消したんじゃ。
事情聴取が終わったころには、もう日が暮れていて真っ暗になりつつあった。
冬は本当に早い、陽が落ちてしまうまでの時間が。
「さっきは助けてくれて、ありがとうございました。
黒羽根さん、ケガとかありませんか?」
「いいえ、私は何ともありませんが、小鳥遊様は大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫です。
そうだ、助けてもらったお礼に顔見せましょうか?」
「いえ、それは大丈夫です」
「今度はちゃんと見せますって」
そう言って、彼がクマの頭の部分を外し始めた。
どうせ、そんなこと言ってまたクマのマスクでもつけているんだろう。
俺は特に期待することなく、小鳥遊さんを見ていた。
確認してみると、やはりクマのマスクを着用しているのが見えた。
やっぱり…期待するだけ無駄だったんだ。
そう思った瞬間だった。
「どうです、普通じゃないですか?」
普通って・・・小鳥遊さんは俺が想像していたよりも、ずっと男らしかった。
イケメンではなくフツメンだったが、とてもクマ好きには見えないくらいだった。
でも、好青年でなんと身に着けている物も全てクマだった。
後に彼がテディベア職人になることを、なんとなくだが俺は予想していた。