最近、変な人と言うか変わった人物がよく銀行に来ている。
これだけ広い世界の中、よくもまぁこの銀行に変わった人物が集まるものだ。
同じ毎日が少しずつ違ってきていることがわかる。
今まではありきたりな日々を送っていたが、最近では変わったお客が多いから面白いと感じている自分がいるのも確か。
今日も窓口業務を行なってアナウンスをして進めていると、再び変わった人物の姿が。
男性でアロハシャツと短パンを身にまとっていて、足元はビーチサンダルを履いている。
季節はもうすっかり秋だと言うのに、常夏みたいな格好をしている。
どう考えたって、その格好は肌寒いだろ!
「ご融資の件でございますね。
おいくら程をご希望でしょうか?」
「んー、30万円くらいでいいかな。
宜しく頼みますよ」
「ただいま審査を致しますので、お待ち下さいませ」
借入申込書を確認すると、彼の名前は“久谷遼介”さんと書かれていた。
信用情報を確認して今まで二回延滞していることが分かった。
だが、他の返済はしっかりしているみたいだから、大して問題はないかと思われる。
融資課長にも話を通すと、貸してもいいとの事だった。
俺はすぐに現金を用意して、久谷さんの元へと戻っていく。
いつもの通りに、確認してもらうように言って30万円を差し出す。
久谷さんは、この現金を一体何に使うのだろうか?
「ありがとうございます!
本当に助かりました」
久谷さんは、本当に助かったという表情をして現金を封筒に入れてしまう。
先程からずっと気になっていたんだが、彼のバッグかなり大きいが何が入っているのだろうか。
重たそうに持っているところからして、何か大きなものが入っているのだろう。
すると、久谷さんがバッグの中からあるものを取り出した。
それは、ラベルがはがされた綺麗なペットボトル。
中には濁りの無い透明感のある水が入っていた。
「黒羽根さん、このお水買いませんか?
険しい谷を下ったり下がったりして、手に入れたそれはもう美しいお水!
味も美味しいから飲みやすいし、ミネラルも豊富だよ!」
下ったり下がったりって、どんだけ下るんだ?
下ってばかりじゃないか。
そんなに下って汲んできた特別な水なのか?
特別な水にはとても見えないが、実際はすごい水なのかもしれない。
俺が黙っている間にも、久谷さんがごり押ししてくる。
ラベルが貼られていないから、本当にどんな水なのか分からなくてお手上げ状態だ。
「なんと2千円ぽっきり!
買うなら今しかないよ、買い逃すと半年以上手に入らないよ!
いいの、黒羽根さん?!」
しかも、2千円って高いな!!
全然“ぽっきり”じゃねーし!なんだぽっきりって!
買い逃すと半年くらい手に入らないって、つまりまたその険しい谷へ汲みに行くのか?
せめてどんな場所まで汲みに行くのかだけ知りたい。
水はあっても困らないが、よくわからない水を購入するのは気が進まない、
久谷さん、着ている格好も何だか変だし・・・。
何だろう、胡散臭い気がしてイマイチ信用できない。
「いえ、見送りでお願い致します」
「そんなっ、いいんですか、半年以上待つんですよ?
このお水を飲めば、黒羽根さんも出世できるんですよ!
険しい谷もお水も応援しているのに!」
この水を飲んだからと言って、そう簡単に出世などするわけがない。
それに、俺は別に出世したいわけじゃない。
それに、険しい谷と水が応援しているってどういう事なんだ!
何度言われても買う気がしないから、丁重に断った。
しょぼんとしながら、久谷さんが歩いて去っていく。
まさか、あのバッグの中にはまだあの水が入っているんじゃ・・・。
コンビニやスーパーでも買えるものを、どうして売って歩いているんだ?
誰も買ってくれないだろう、冷えてないし・・・。
それに30万円の融資をしたが、一体何に使うのだろうか。
まさか、特許とか取るつもりなのだろうか?
うーん、いくら考えても思いつかない。
あれから忙しい日々を送っているが、変わったお客は来ない。
いいな、平和で・・・でも、最近変な人が来るものだから内心期待している自分もいる。
まぁ、そんな変な人なんてそうそう現れたりしない・・・。
そう思い窓口の方を見てみると、テレビの周囲に人が集まっていた。
何か面白いニュースでもやっているのか?
俺も窓口から眺めてみると、その画面には・・・久谷さんが映されていた。
『久谷さんは、なぜこのお水を売っているんですか?』
『僕はこのお水が安心だという事を、皆さんに知ってもらいたいんですよ。
あの山の中にある谷のお水は、決して有害なものじゃない。
ちゃんとろ過して検査をすれば、美しく美味しいお水になるんです!』
『でも、お値段高いですよね?』
『それは僕が谷間で下ったり下がったりしている手間賃みたいな?
もっと何かいい方法があれば、安くすることが出来るんですけどね・・・』
アナウンサーにインタビューされて、久谷さんが答えている。
出たよ、下ったり下がったり!
さぞかし下り続けているんだろうな・・・。
でも、そうか・・・久谷さんって、自然を守る団体に属している人だったんだ。
だから水を売り歩いているのか。
あの谷がある山は、かつて立ち入り禁止にされていた場所で近づかないようにと注意されていたが、数年前から再び入れるようになった。
風評被害をなくすために、久谷さんが活動しているのかもしれないな。
だったら、きちんとラベルを貼って売らないと意味がないんじゃないか?
にしても、人は見かけによらないな・・・あんな格好しているから、またインチキ商売人だとばかり思ってしまった。
「久しぶり、黒羽根さん!
今日は2本で2千円にしてあげるけど、買うよね?ね?」
「うわっ!」
いきなり久谷さんが目の前に現れて、俺は声を荒げてしまった。
びっくりした・・・いつの間にやってきたんだ・・・。
しかも、またあの水を売りに来たみたいだし。
2本で2千円って、1本千円ってことじゃないか!
あ、ちょっと待てよ・・・それって半額ってことなんじゃないのか?
それだったらお買い得かもしれな・・・って違うだろ!
「あの、ここが銀行だという事をご存知でしょうか?
商売なら他の場所でしていただきたいのですが」
「えー!」
久谷さんがブーブー文句を言う。
外でやってくれるなら文句はないが、なかなかそうもいかない。
このままでは久谷さんが営業妨害になって、色々厳重注意をされてしまう。
それではかわいそうだから、一度外に出てもらう事にした。
今日は帰った方がいいと伝えたが、俺が仕事を終えるまで待っていると言って聞かなかった。
全く・・・子供みたいな人だな!
仕方なく約束をして、その間時間をつぶしてもらう事にした。
本来なら、お客と親密に関わってはいけない立場だが・・・少しくらいならいいか。
そして業務を終えた俺は、裏口から退社した。
裏口から出て表の通りに出ると、久谷さんが立って待っているのが見えた。
俺の姿を見つけて、子供のように手を振っている。
恥ずかしくなって、俺はその場から走ってその手を制した。
すると、久谷さんが笑いながら俺を見ている。
その表情から、本当に嬉しいという事がわかり、無下にできなくなってしまった。
場所を変えて、少し離れた居酒屋へと向かった。
「黒羽根さん、いつもお疲れ様です!
ささ、一杯どうぞ!」
そう言って、店員の目を盗んで透明コップの中へとあの水を注ぎ始める。
いいのか・・・そんなにその水を俺に飲ませたいのか?
少しだけかと思いきや、かなり多めに注いでいる。
いやいや、そんなに飲めないし店員にばれるだろ・・・!
店員は全く気が付いていないのか、注意する気配がない。
久谷さんが目をキラキラさせながら、俺にコップを差し出す。
仕方ないな・・・飲むしかないじゃないか・・・。
「・・・いただきます」
俺はそう言ってから、コップを口へと運んだ。
一体どんな感じになっているのか・・・ん、これは・・・?
思っていたよりも、癖とかないし味も何だか美味しいような気がするな。
スーパーで売られている水よりも美味しく感じる。
水ってこんなうまかったっけ?
「美味しいですね」
「ほら、だから言ったでしょう!
特別なお水なんで、ぜひ黒羽根さんには飲んでもらいたいんですよ。
どうですか、今なら2本でたった2千円ぽっきりですけど。
もちろん、買いますよね?ね!」
「・・・・わかりましたよ、買います」
「ありがとう、黒羽根さんなら買ってくれると思ってた!
まいどありっ!」
買ってくれると思ってた、じゃない。
無理に買わせたんじゃないか!
確かにうまいし通常の水とは違うと分かったが、ほしいかと聞かれればそうでもない。
出されたら飲むというくらいで、好き好んで購入しようとは思わない。
それでも、久谷さんは嬉しそうな表情をしている。
しかも、今回はちゃんとペットボトルにラベルが貼られていた。
だが、そのラベル・・・なんか変だぞ・・・。
よく見ると、あの山とか谷に全く関係ないデザインがされている。
黄色いカエルがデザインされたラベルが貼られている。
これはちょっと・・・さすがにカエルは良くないんじゃないか・・・?
緑ならまだしも黄色って、何だか毒々しさを感じる。
子供が気に入りそうなカエルならいいけれど、やけにリアルと言うか。
「あの、ラベルのデザインは変更した方がよろしいかと」
「あの山の中には、たくさんのカエルがいるんだよ!
だからデザインにしてみたんだけど、ダメ?」
「そうですね・・・考え直した方がいいかもしれません。
もっと子供とかが食いつきそうな・・・」
山の中にはカエルがたくさんいるのか。
まさか、黄色いカエルがたくさんいるんじゃないだろうな?
本当にいるとしたら、それは恐らく・・・モウドクフキヤガエルじゃないか?
・・・危ない山だな!
だから値段も高くしているのだろうか・・・手間賃とか言っていたし。
「やっぱり毒々しいかな~」
知っていたんだったら、もっと考えろって!!
あんなの子供から見れば、怖いしそんなカエルのいる場所で汲んだ水なんて怖いと思われてしまうじゃないか。
もっと配慮してデザインを作成してもらわなければ、誰も買ってくれない。
その後、俺たちは少し酒を飲んで店の前で別れた。
あの30万円は、あの水の検査や実験をするための費用にあてたらしい。
後日、久谷さんは正式な販売許可をもらい、その努力が認められて水が色々な場所で購入出来るようになった。
そして、今では俺も愛飲者のうちの一人として、毎日夜寝る前に飲んでいる。