今日も相変わらず忙しい日だな。
だが、何もしない暇な日よりずっといいから頑張って働いている。
融資だけではなくて、最近ではおまとめローンの申し込みも増えてきているが、返済能力のある人が少なく審査に通れない人も最近では多い。
さて、今日も早速書類を確認して仕事を少しでも多く進めていこう。
「すみませーん」
受付の方から声が聞こえて、俺はすぐに駆け寄った。
何故なら俺が一番近い距離にいたから。
だけど、俺は目のやり場に困ってしまった・・・いや、笑ってしまいそうで怖かった。
その理由は、その男性老人の頭部が変だったからだ。
何が変って、黒マジックで髪の毛を書いて塗っているから。
いやいや、さすがにこれはちょっと・・・!
本人は平然としているからなおさら驚くばかりだ。
「はい、なんでしょうか?」
「こちらで通帳を作りたいんですが」
「はい、口座開設でございますね。
それではこちらの番号札をお持ちになってお待ちください」
そう言って、席へと案内してから受付に戻る。
周囲もそのご老人を見てクスクス笑っているが、さすがにそれは失礼だろう。
俺も笑いそうになっているが、ぐっとこらえて平常なふりをしている。
失礼なことをしてしまえば、この銀行の看板に泥を塗ってしまうからな・・・。
書類を整理したり、融資の審査などを行なっていく。
すると、一人の女子銀行員がやってきた。
どうやら、あのご老人を相手にするのは厳しいみたいで俺に助けを求めてきた。
仕方なく、俺は窓口へ行き対応することに。
「お待たせいたしました。
口座を開設するためには、書類に記入していただく必要があります。
ですので、こちらの書類にご記入下さい」
そう言って、俺は自分のボールペンを渡した。
ご老人の名前は“吉村衛門”さんというみたいだ、まるで俳優みたいな名前。
丁寧に記入してもらえるのは嬉しいことだが、そんな風に頭部をこちらへ向けられると、目のやり場に困るし、笑ってしまいそうで怖い。
頼むから早く記入して、さっさと手続きを終わらせてくれ・・・!
全て記入が終わり、俺は細かいところまでチェックして必要な部分に書き記していく。
確認をしてから、吉村さんを見て俺は我慢が出来なくなった。
「吉村様、その髪型どうされたんですか?」
「ああ、これ良い髪形だろう?
孫が髪を生やした方が若々しくていいって言うもんだから、生やしたんですよ。
孫もイケてるって言ってくれたんで、一安心です。
嫌われてしまえば寂しいですから・・・」
「お孫さんがいらっしゃるんですね?」
「そう、小学校3年生になる孫がいて、男の子だから元気がいいのなんのって。
勉強は嫌いみたいだが、体育だけは好きらしくて、活発な子です」
本当に嬉しそうに話しているから、そのお孫さんが大好きなんだと分かった。
だからといって、さすがにその髪型はイケていないと思うが・・・。
そもそも、これを髪型と言ってもいいのだろうか・・・疑問だ。
お孫さんも、よくこれを見てイケてるなんて言ったものだな。
髪を生やした方がいいよって言われて、黒マジックで書いてしまうのもすごい。
逆にその発想が素晴らしく感じるくらいだ。
変ですよ、なんて言わない方がいいのかもしれないな・・・気に入っているみたいだし。
「ちなみに、髪はどのようにして洗われるんですか?」
「シャンプーとリンスはちゃんとしているよ。
孫に言われて、トリートメントもしっかりしているが、どう思います?」
ちょっと待ってくれ・・・シャンプーリンスはいいとしよう。
それはいいけど、トリートメントは意味ないんじゃないか?
髪をケアするものだが、この人には髪が無いしその書かれた髪はさらさらにはならない。
お孫さん、もしかして本当は吉村さんの事から買っているだけなんじゃ・・・。
本当は嫌いだからそうさせているとか・・・。
だめだ、何だかものすごく心配になってきたぞ・・・。
しかも、どう思うって聞かれても正直かなり困ってしまう。
「と、トリートメントは時々でも大丈夫ではないでしょうか?」
「そうだよなぁ、正直私も効果が出ているのかよく分からないんだ」
よく分からないって、当たり前だって!!
だって、それは髪の毛じゃないんだから効果なんてわかるわけがない。
正直、トリートメントはやめた方がいいですよとはっきり言ってあげることが出来なかった。
いや・・・俺にはとてもそんな勇気なんかない。
俺たちの会話を聞いているのか、両隣のお客さんや銀行員が笑いそうになっているのがわかる。
頼むから笑わないでくれよ・・・。
「それでは、ただいま発行してまいりますので少々お待ち下さいませ」
そう言って一旦席を離れる。
だめだ、笑いそうになってしまうのをこらえるのがつらくなってきた。
あれで外を歩いたり電車に乗っていると思うと、何だか・・・。
通帳を発行するまで、自分の気持ちを落ち着かせる。
おかしいですよ、と言ってあげる方が親切だろうか、それとも大きなお世話だろうか。
こういう時、どうするのが正解なのか知りたい。
このまま放っておいて、もしかして次来た時には消えているかもしれない。
俺は通帳を手にして戻り、吉村さんに通帳を手渡した。
「キャッシュカードは、後日郵送されますのでお待ちください」
「ああ、ありがとう。
そうだ、今度君にもうちの孫を紹介しよう」
「それはぜひ、楽しみにしております」
「ああ、今度連れてくるよ。
それじゃあ、これで」
そう言って吉村さんが笑顔で帰っていく。
良かったのかな、あのまま帰して・・・心配だ。
だが、今度お孫さんを連れてきてくれると言っていたから、もしその時が来ればひそかに吉村さんをどう思っているのか聞いてみよう。
嫌われていないことを、ただただ祈るばかりだ。
そして、できれば次この銀行に来る時までにはあのマジックが消えているといいな・・・。
あれから2週間くらい経った頃。
やっと業務も落ち着いてきて、少しだけど余裕が持てるようになった。
穏やかな日々が戻ってきて、俺はすっかり油断していたしあの約束もすっかり忘れていた。
そろそろあと30分くらいで今日の業務も終了して、オフィスワークになる。
そんな時だった。
「黒羽根さん、ご無沙汰してすみません」
「あ、吉村様ではありませんか」
・・・・・っ?!
吉村さんの頭部は相変わらず、黒マジックで書かれているままだった。
マジか・・・何も変わってないじゃないか・・・。
そう思ったら、髪の分け方が変わっている事に気が付いた。
変わったって、分け目かよ!
再び周囲の目が吉村さんに集まっていることに気づき、俺は平静を装った。
吉村さんはお孫さんと仲良さそうに手をつないでいる。
別に仲が悪いわけじゃないみたいだな・・・よかった。
「こちらが私の孫のユウキです。
ほら、挨拶しなさい」
「こんにちは!」
「こんにちは」
笑顔で挨拶をしてくれて、俺もつられて笑顔を見せた。
元気が良くてなんていうか、本当今時の男の子といった感じだ。
ユウキくんが吉村さんから手を離し、銀行内をじろじろ見てはわぁと言っている。
何か面白いものでも見つけたのだろうか。
俺は気になっていることを、ユウキくんにぶつけてみることにした。
吉村さんは椅子に座っていて、のんびりしているから聞くなら今しかない。
「ユウキくんは、おじいちゃんのことが好きですか?」
「うん、すきだけど、あれしろこれしろってうるさいんだ。
でも、いつだってぼくのみかたなんだよ」
「おじいちゃんの髪型なんだけど・・・」
「おじいちゃんが髪生えたら若返ると思って、ぼくが言ったんだ。
あれね、ユセイマジックだから簡単には落ちないんだって!
お父さんとお母さんは嫌がってたけど、なんでだろ?
あれいいのにね!」
ユウキくんが嬉しそうに笑いながら言う姿を見て、本気なんだと思った。
若返って欲しくて提案したのが、あの黒マジック。
考え付くのもすごいが、それを実際にしてしまうのもすごいと思う。
二人しておかしいと思っていないようだし・・・。
二人が満足しているなら、何も言わない方がいいのだろう。
しかも、油性マジックって落ちにくいからこそ逆に心配になってしまう。
あのままでいいのかな・・・。
でも、お母さんとお父さんが嫌がっているって・・・止めた方がいいかな?
「あのね、ユウキくん・・・」
「だけど、おじいちゃんのあれはさ髪型とは言わないよね?
だってあれマジックで書いてるだけだもん」
そう、そうなんだよ!
あれは髪型とは言わないんだよ、ユウキくんよく気が付いた!
危ない危ない、もう少しで俺の口から指摘してしまう所だった。
はいどうぞ!と言われて俺の手に何かを掴ませるユウキくん。
ユウキくんが吉村さんの方へ駆け寄り、髪型について話し始めている。
髪型が変だと言い始めるユウキくんに、吉村さんの顔色が変わる。
恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、そのまま銀行から逃げるように帰ってしまった。
「よかった・・・わかってくれて」
あれは若返りとは言えないからな・・・コメディじゃないか。
通帳も無事作り終えたし、キャッシュカードももう届いているころだし心配ない。
俺は手に掴まされたものを確認することにした。
一体、俺に何を渡してきたんだ?
確認すると、それは履歴書などに貼る証明写真だった。
しかも写っているのは、あの吉村さんで普通の格好をしている姿だった。
吉村さんって、普段はこんな感じなのか。
あくまでも俺の意見だが、若々しいと思うから無理しなくてもいいような気がする。
「こっちの方が全然いいじゃないか」
証明写真を見てそう呟いた。
それなのにお孫さんに言われて、マジックであんなことをしてしまうなんて。
普通なら育毛剤を使うとか考えそうなものだが、それを油性マジックで書くとは。
しかも、書いたのは本人ではなくてお孫さんの方だったなんて・・・びっくりだ。
吉村さんは、本当にお孫さんのことが大好きなんだろうな。
だけど、この証明写真は一体どうすればいいんだろうか。
返した方がいいとは思うが、相手の住所など何も分からないから返却が出来ない。
まぁ、またこの銀行に来てくれるかもしれないから、大事に保存しておこう。
「にしても・・・面白い人だったな」
最初のあの衝撃が今でも忘れられない。
ユウキくんが成長して、あの髪型を見たらどう思うのだろうか。
二人ともいつまでも仲良くいてくれたらいいな。