季節はもうすっかり冬を迎えて、本格的に寒くなってきている。
インフルエンザが流行り始めているとニュースでも話題になっている。
特にお年寄りと子供は気を付けた方がいいだろうな・・・。
免疫力をあげるにはバランスの良い食事をとるとか、青汁を飲むのがいいと聞いた。
ただ、今から始めても遅いような気がするから、予防接種をした方がいいんじゃないかと思う。
こんな寒いと言うのに、小さな子供が半袖短パンを履いていて見ているこっちが寒いくらい。
よく風邪ひかないよな・・・子供は風の子とはよく言ったものだ。
いつものように番号札をさばいていくと、いかにもアーティストのような男性がやってきた。
格好も奇抜と言うか個性的と言うか・・・。
「30万円、融資してほしいんだけどいいかな?」
話し方まで何だかそれっぽいな。
髪を少しかき上げながら、俺に向かって書類を提出してもらった。
名前は“藍川朱鷺”さんというらしく職業は画家と書かれていた。
・・・やっぱり、そういった職業だと思った!
こんな言い方悪いかもしれないが、すごくナルシストっぽい。
何て言うか、身振り素振りすべてがそんな風に見えてしまう。
信用情報を調べてみると、多少の延滞はあるがきちんと返済をしているからセーフかな。
融資課長に断りを入れて、承諾をもらい30万円を準備していく。
それを藍川さんの方へ持っていき、確認してもらう。
手慣れた手つきで札を数えていく。
「うん、ピッタリだね。
ありがとう、黒羽根さん、ボクのミューズも喜んでいるよ」
「ミューズ?」
「嫌だなぁ、女神の事だよ。
ボクにはミューズがついているから、怖いモノなしさ」
ミューズがついているから怖いモノなしってすごいな・・・。
そもそも女神なんているのだろうか。
何だろう、この不安定感さは。
だが、お客だから変なことは言えない。
どうしていいのか分からず、俺が黙っていると藍川さんがフッと笑った。
何だ・・・何かおかしかったか?
「嫌だなぁ、黒羽根さん。
このボクの美しさに見とれてしまって。
ボクの美貌は罪作りだね・・・」
美しさに見とれていたわけではないんだが・・・。
だめだ、太刀打ちできそうにない。
ナルシストなのは分かったが、ここまでだとだいぶきついかもしれない。
自分の容姿にそこまで自信が持てるなんて、うらやましい。
俺は自分を普通だと思っているし、こんなふうに振る舞う事は出来ない。
周りの女性がキャーキャー言っている。
女性からすれば、やっぱりこういうのをイケメンと言うのだろうか。
だが、ナルシストなのは大変だ。
「黒羽根さん、ボクの魅力にやられて何も言えないのかい?
本当に、ボクの魅力と美貌は困ったさんだね」
「自信があるなんて、うらやましい限りです」
「ボクはミューズに愛されて生まれてきたからね。
ボクの美しさは、多くの者達の妬みを買ってしまうんだ」
魅力にやられて何も言えなかったわけではない。
ただただ、この性格がすごいなと思っているだけ。
ミューズに愛されて生まれてきたなんて、普通は言えない。
周囲からよく思われていないことは、理解している様子。
それでもこの前向き思考、本当にすごいと思う。
どうしよう、このまま帰してしまった方がいいのだろうか。
このままでは、また魅力が何チャラと言われてしまいかねない。
俺が黙っていると、藍川さんが口を開いた。
「じゃあ、僕はこれにて失敬するよ。
じゃあね、黒羽根さん」
失敬するって、とても若者が使う言葉とは思えない。
親の顔が見てみたいような気もするが、何だか怖い気もする。
あっという間、嵐の如く去って行ってしまった。
次に会う時は、返済の時かな・・どちらにせよ気にするのはやめよう。
誰かに話したいが、業務上誰かに話すことが出来ない。
こんなに面白い人がいるっていうのに、教えられないなんて。
画家って書かれていたが、どんな絵を作成しているのかすごく気になる。
普通の絵画なのか、それとも人物画や風景画なのか、絵の具なのか油絵なのか。
そういえば、かつて絵を描いている女の子がこの銀行にやってきたっけ。
その彼女は確か油絵だったような気がする。
「二人、知り合いだったりして・・・」
苗字が違うから兄妹じゃないことは確かだ。
学校の先輩後輩と言うわけでもなさそう。
二人とも絵を描くことが好きみたいで、俺は思わず笑ってしまった。
ただ、ジャンルは全く別物のような気がする。
俺は業務を終えて、いつも通りの帰り道で歩いていた。
この通り、本当に街灯が少ないんだもんな。
変質者が出ないかいつも気にしながら帰っている道。
すると、遠くに誰かの気配を感じてよく見てみると、ある人物が座っていた。
あれは・・・藍川さんじゃないか?
見てみると、藍川さんはスケッチブックをイーゼルに立てて何かを描いているようだった。
邪魔をしていけないと思い、俺はそのまま帰ることにした。
画家としてやっていくには、それなりの覚悟が必要になってくる。
それに技術やセンス、運だって必要になってくるし。
全てが揃ってようやく活躍が出来るようになるような職業だから、とても大変だと思う。
それにどんなに上手でも、購入者が多いわけではないからなかなか厳しい世界じゃないかな。
藍川さんはナルシストで自信を持った人だけど、作品はまた別の印象を抱けるかもしれない。
作品展のようなものがあれば、一度足を運んでみたいものだ。
しばらくして、今日の業務を終えた俺はカギをしっかり締めて退社した。
毎日同じような業務を繰り返しているから毎日に退屈しそうになる時もある。
だけど、最近はそうでもなくもう少し相手とコミュニケーションをとってみたいと思うようになったんだ。
「黒羽根さん、融資の返済にきました!」
俺が担当している人数は、他の社員よりも少し多くなっている。
以前までは、少なかったはずなのに最近は融資をしてもらいたいという人が増えて、ありきたりな毎日から少しずつ解放され始めている。
もしかしたら、以前までは仕事が少なくて退屈していたのかもしれない。
業務を終えて、俺はいつもの帰り道を通るとあの公園に再び藍川さんの姿があった。
イーゼルを立てて、真剣な表情をしながら何かを一生懸命描いているが納得いかなかったのが、スケッチブックを破りぐしゃぐしゃに丸めて捨ててしまった。
俺は近くまで行き、捨てられた絵画を広げて見た。
それは、美しい色使いの風景画だった。
一体何が気に入らなかったのか、凡人の俺には全く分からない。
「藍川さん、一生懸命描いているみたいですが、何かあるんですか?」
「黒羽根さんか、実はもうすぐコンクールがあるんだ。
そのコンクールに入賞すると、お金と仕事がもらえるんだよ」
お金と仕事がもらえる・・・そのために頑張っているのか。
だが、藍川さんはお金がないようには見えないし、そんな焦っている様にも見えない。
どうしてそこまでしてお金と仕事が欲しいのだろうか。
お金がないように見えないと言ったが、考えてみれば彼は俺から30万円の融資を受けている。
何か事情があるんだろうか。
だけど、そんなことを聞いてはいけないような気がして、俺は口ごもる。
「ボクはね、歳の離れた妹がいて病弱なんだ。
両親の稼ぎだけでは、どうにもならなくてね・・・お金が必要なんだ」
「そうだったんですね・・・」
歳の離れた妹さんがいて、病弱で入院を繰り返しているようだ。
確かに医療費が高くついてしまうから、大変だと思う。
そういった事情があるなら、俺も何か協力したいが何が出来るだろうか。
俺が黙り込んで考えていると、藍川さんが俺をじっと見つめてきた。
俺の顔に何かついているのか?
口を開こうとしたら、先に藍川さんが口を開いた。
「どこかで見たことがあると思ったら、あの子のモデルになった人じゃないか!」
「モデル?」
「ほら、楜澤キオさんの描いたモデルだよ!
どうして言ってくれなかったんだい!?」
あぁ、そう言えばかつて俺は彼女のモデルになったことがあった。
あの当時は全く知らなくて、気が付いたら勝手にモデルにされていて。
だけど、あれはあれですごく嬉しかったことを覚えている。
そうか・・・あの絵画を藍川さんも見たんだ。
その瞬間、俺の頭に嫌な予感が浮かんだ。
まさか、まさかとは思うが俺にモデルをやってくれなんて言い出さないよな?
「黒羽根さん、モデルをやって・・・」
「お断りします!」
俺はきっぱりと言い返した。
何回もモデルになるのは正直避けたかった。
俺は別に目立ちたいわけではなく、普通に過ごしたいだけなんだ。
それに俺がモデルになってしまったら、藍川さんが叩かれてしまうかもしれない。
楜澤さんとモデルが同じだと非難されてしまうかもしれない。
それだけは避けたい。
藍川さんがシュンとして、絵画道具を片付けていく。
あ・・・そうだ!
「藍川さん、俺じゃなくて妹さんの絵を描いてみたらどうですか?
妹さんの自然体を描いたら、多くの人の目に留まるかもしれない」
「妹の絵を?」
「俺は凡人だから分からないけど、風景画よりも人物画の方が印象に残るんじゃないですか。
特に、誰かが笑っている表情は残ると思うんです」
「なるほど・・・そうしよう!」
それから、藍川さんは絵画の制作に力を入れ始めた。
ただ、作り物の笑顔ではだめだという事で俺は妹さんにちょっとしたぬいぐるみをプレゼントした。
その時の妹さんがまたとても良い表情を見せて、すぐさま藍川さんが描き始めた。
俺は邪魔しないように帰り、それから彼と会う事は無かった。
仕事が忙しかったし、藍川さんもコンクールで忙しくしているから。
後から聞いたが、あの30万円は画材を購入するために借りたのだとか。
画材もなかなかいい値段することを知り、俺は融資に来た理由に納得した。
いつも通りに仕事をしていると、ついているテレビからある声が聞こえてきた。
そこに映し出されたのは、絵画コンクールの中継だった。
今から始まるのか・・・藍川さん、作品ちゃんと間に合っただろうか・・・。
結構時間ぎりぎりまで頑張っていたんじゃないかなと思うと、ため息が漏れた。
悪い意味ではなくて、心配の溜息が。
業務中だからあまり真剣に見てはいけないと思いつつも、やっぱり気になってしまう。
たくさんある絵画が一つずつ画面に映し出されていく。
ハイレベルな絵画が並べられていて、その中でも藍川さんの絵画が浮いて見えた。
いい意味で浮き上がって目立っている。
その瞬間、チャンネルを回されてしまった。
・・・・おいっ!
「今の見てたのに~」
周囲がそう言うから、近くにいたお客がチャンネルを戻す。
映し出されたのは、藍川さんで見事入賞したことが分かったが、肝心な絵画を見ることが出来なかった。
どんな絵画なのか見たかったのに、なかなか映してくれなくて諦めるしかなかった。
でも、藍川さんが入賞出来て本当に良かったと心から思っている。
その後、再びチャンネルは回されてしまい、ニュースになってしまった。
実は、その頃藍川さんが描いた絵画が大々的に映し出されていたんだ。
その絵画は妹さんだけではなくて、俺の姿も描かれていた。
絵の中で楽しそうに笑う俺と、嬉しくて満面の笑みを見せている妹さんのツーショット。
俺がその絵画を見るのは、世界中で有名になってからもっと後の事。